ブログを書く理由について

久しぶりに日記を書いて自分の文章の下手さに愕然としているがそれは置いておくとして。

ブログをもう一度書き始めようとおもったきっかけは、長らく使っていたTwitter(現X)がさすがに読むに堪えなくなってきたということもある。自分は元々読む専門でTwitter上で交友関係を持つなんてこともほとんどなくリアルの知り合いの人とうすーく繋がっている程度の使い方ではあったけれども、逆に公式アカウントやニュースアカウント、自分と似た考えの気鋭の研究者さんのアカウント等をフォローしてそこから色々な情報を得ることはあった。

(多くのSNS依存者と同様)おそらく情報中毒みたいなところがあったので日々何もしなくても勝手に流れてくる膨大な量の情報や他人のぼやきを際限なく読めるTwitterは気づけば自分の生活にとってなくてはならないものになっていた。一方で情報中毒の症状が年々悪化していることも気づいていたのでどこかで歯止めを効かせる必要もあったように思う。

そしてXへの移行やそれ以前のSNS界隈の様々な変化もあって、昔はほどほどに楽しめていた他人のぼやきが、あまりにも強すぎる怒りやメッセージに次第に駆逐されるようになり今ではただのぼやきを探すほうが難しいくらいになってきてしまっている状況が追い打ちをかけた。昔多少なりともつながりのあったリア友も今利用している人はごく少数になってしまった。それでもほぼ読む専門だった自分はだらだらと辞め時もわからず暇さえあればtwitterを開き、「ああまたどこかの界隈が炎上しているな」と確認して、自ら何かを発信するわけでもなくあーだこーだと思考をめぐらせて時間を潰していた。ここまで書かれたことでわかるように、私は単に情報依存であるだけではなくて、思考依存なのである。それなのに「自分が表現することへの欲求」は、他人比べてあまりないようで、実際にTwitterに投稿しまくるようなことにはついぞ至らなかった。あれこれ考えてもせいぜい周囲の仲のいい相手にしゃべっていれば満足してしまっていた。

しかしながら、年を重ねるにつれ、そのことがあまり自分の人生に良い影響を及ぼしてはいなさそうだぞ、ということに気づいてしまった。端的に言えば、インプットしたものは適切にアウトプットする必要がある、ということである。先ほど「周囲の仲のいい相手にしゃべっていれば満足」と書いたが、その内実はそれほど「普通」のことではない。人との「会話」は、口で言うほど簡単なことではない。それに気づかずにいられたのは今まで自分が恵まれていたということだろう。