愚痴を言うことの是非

「愚痴を言っても意味がない。課題とそれに対する解決策のみが意味を持つ」と言う人がいる。実は自分も昔は、仕事の愚痴を言うことに意味を感じなかった。嫌なら辞めればいいのに、と素朴に思っていた。

嫌なら辞めればいいというのは、いまでももちろんその通りだと思う。ただ、今は昔より愚痴の効能を理解できるようになってきた。

大人になると、ものごとが自分の思い通りに行くということはほとんど奇跡に近いことなのだなということがわかってくる。自分の意志で選択し、なにかあればそのことに自分で責任を取る、という理想的な人間のあり方というのは、実はそれほど簡単なものではないのだ、ということが身にしみてわかってくるのだ。

ものごとが自分の思い通りにならないとき、なりようもないとはっきり気付いてしまったとき、それを完全に投げ出すというのもひとつの手段ではあるのだが、他にも手立てはある。誰かに愚痴を聞いてもらって自分の心をなだめつつ、どうにかやり過ごすという方法である。100%思い通りでなくても、70%できているから、よしとしよう、と考える。そして30%足らなかった理由は、身近な人に聞いてもらう。ただそれだけで、また次もがんばろうと思えたりするのだ。

愚痴を侮ってはいけない。